かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

原節子の伝記を2冊読む。


原節子1920年ー2015年)の伝記本を2冊読んだ。


ひとつは、貴田庄著『原節子物語 若き日々』。

原節子物語 若き日々 (朝日文庫)

原節子物語 若き日々 (朝日文庫)

デビュー当時のこと、山中貞雄監督『河内山宗俊』出演のころ、日独合作映画のアーノルド・ファンク監督『新しい土』へ出演までのいきさつなど詳しい。映画は日本とドイツ(ナチス時代)で行列のできる大ヒット。無名の原節子は、この1本で一躍人気女優として注目を集める。幸いにして、山中貞雄監督の『河内山宗俊』も、アーノルド・ファンク監督の『新しい土』も映像が残っているので、映像で10代の可憐な原節子を確認できるのがうれしい。


山中貞雄監督の『河内山宗俊』は、山中貞雄監督で現在フィルムが残っている3本、悲劇の傑作『人情紙風船』、粋でおもしろい『丹下左膳余話 百万輌の壺』に比べると、映画的にはすこしものたりない気がするけれど、16歳の原節子が見られるので貴重。


河内山宗俊 [DVD]

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山中貞雄は、原節子の魅力に強く惹かれていたという。もし戦病死することなく戦後も映画を撮ることができたら、小津安二郎成瀬巳喜男黒澤明のように原節子の代表作を発表したのではないか、と想像してしまう。山中貞雄監督は、1909(明治42)年生まれ。1910年生まれの黒澤明とひとつしか違わない。残された3本の作品を見ても、才能の傑出しているのは明らか。28歳の死が残念でならない。


アーノルド・ファンク監督の『新しい土』は、もともと同盟国の日本の魅力をドイツ人に紹介するための目的でつくられた映画。日本人が見ると、かなり変だ。東京の近郊にあるはずの原節子の家なのに、庭から外へ出ていくと、宮島のあの大鳥居が見えてきたり(笑)、東京の夜のはずなのに「阪神電車」のネオンがまたたいたりして、おどろかされる。スジよりも日本の美しい風景に力点が置かれている。そして、その風景以上に美しいのが17歳の原節子。初々しい原節子に、日本人もドイツ人も魅了されて、映画は大ヒットした、という。


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「新しき土」予告篇↓
https://www.youtube.com/watch?v=hQ0Xp9Qr_sU



石井妙子著『原節子の真実』は、本格的な伝記で、読み応え十分。内容も、いままで知らなかった視点や事実が書かれていて、新鮮だった。


原節子の真実

原節子の真実

もっとも意外だったのは、原節子小津安二郎作品に満足していなかったこと。自分では代表作とおもっていなかった事実。原節子は、もっと自分の意志を強くもった女性を演じたかったらしい。その意味では、小津安二郎作品よりも、反戦運動のため獄死した夫の意志を継いで、戦時下の困難に闘って生きる妻を演じた『わが青春に悔いなし』のほうが、彼女の意に近かったようだ。原節子が一貫して演じたかったのは、自分の信念をもって強く戦国時代を生きた細川ガラシャの役。これは企画にあがりながらも、結局映画化は実現されず、原節子を失望させている。



この伝記では、噂の小津安二郎との恋愛も、やんわり否定されている。というより、もっと他の恋愛相手との事実に、作者は筆を割いているので、ここは興味深い。簡単にいえば、その男性は無名(といっても、著者はおもわせぶりではなく、実名をあげている)で、原節子という人気女優との釣り合わない恋愛に、身をひくことになる悲恋のストーリーなのだが・・・。


原節子の伝記を読んでいつも心にひっかかるのが、彼女の義兄熊谷久虎監督。終始彼女に強い影響力をもち、原節子はこの義兄を尊敬していたようだ。石井妙子は、この義兄と原節子とのあいだに、親族以上の関係があったのではという噂も紹介している。例えば、成瀬巳喜男作品などにかかわった東宝のプロデューサー藤本真澄は、原節子と結婚したかったが、義兄との関係を知ってあきらめた、そんなエピソードが紹介されている。


これがほんとうならば、彼女が結婚しなかった大きな原因のひとつ、となるのかもしれないが、著者は、わからないことはわからないままで、それ以上の憶測はしていない。そのせいかもしれないが、この伝記に下世話な感じはぜんぜんない。