かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

志賀直哉が山手線にはねられた日の日記。




志賀直哉は、1913(大正2)年8月15日、山手線にはねられた。その日の日記がある。

八月十五日(金)
病院。かへって、「出来事」了ひを書き直して出来上がってひるね。
伊吾来る。起きてそれを読む。将棋をする。晩、散歩に出る。芝浦の埋立地に行く 水泳を見、素人相撲を見物して、帰り山の手線の電車に後から衝突され、頭をきり背を打った。伊吾がどうかかうか東京病院へ連れて行ってくれた。十一時だった。
 伊吾も一緒に泊ってくれたのだそうだ、母とろく子が来たそうだ。


伊吾は、里見弴。


日記のはじめに「病院」とあるのは、当時志賀直哉が性病の治療で通院していた順天堂病院のこと。志賀が事故のあと入院した東京病院は、現在の東京慈恵医科大学付属病院(貴田庄著『志賀直哉、映画に行く』参照)。


里見弴の「善心悪心」によれば、里見ははじめ、順天堂病院へ志賀を連れていこうとしたが、里見に背負われた志賀は、自分で東京病院を指示したという。


性病の治療で通院しているのと同じ病院へ入院して見舞客などを迎えるのがいやだったのかもしれないが、事故にあった火急のときにも、頭の一部が冷静な志賀直哉が興味深い。



追伸:志賀直哉は、日記を、その日その日に書くひとではなかった。たいていは数日ごとに、ときには半月や1カ月くらいまとめて書くときもあった。だから、事故のことが、その日もしくは翌日に書かれた、というわけではない。念のため。


志賀は12日後の8月27日に、東京病院を退院している。