かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

福島の原発事故を描いた『太陽の蓋』(佐藤太監督)を見る(8月11日)。



イオン板橋へ(午前8時35分の回)、福島の原発事故を描いた映画『太陽の蓋』を見にいく。イオン板橋の映画館は、こういうマイナーな上映館しかかからない作品をときどき上映してくれるのでうれしい。


原発は、一国を消滅させかねない巨大なモンスター。そのモンスターが、2011年3月11日爆発した。その事故を前にして、東京電力(映画では「東日電力」)も、政府も、原子力安全委員会も、あわてふためくだけで、打つ手立てがない。対抗策を嘲るように、事故の様相は深刻になっていく。


悪夢のような2011年3月11日の福島の原発事故が描かれる。政府の困惑、東電本社や原子力安全委員会の無能ぶり。命がけでモンスターと対峙しているのは、現場の作業員。その様相が再現される。


まるで先日見たモンスター映画『シン・ゴジラ』を思い出させるけれど、深刻度が全然ちがう。『シン・ゴジラ』は「非常事態宣言」と「自衛隊武力行使」で、モンスターに勝つことができたが、「原発」というモンスターに対して、最後までそれを制圧する技術と知恵を日本は持たない。事故は拡大するばかりで、東京も安全地域ではなくなる。


いろいろ記憶に残るシーンやセリフがある。


主人公の新聞記者(北村有起哉)が、東京八王子に住む妻(中村ゆり)に電話して、いう。「東京も危ない。どこか別のところへいこう」(記憶だけで書いているので、正確なセリフではありません)、しかし妻は「だって、どこへ行けばいいの。日本中揺れているし、日本中に原発があるんでしょ」。


記者は、原発に詳し先輩の元記者にいろいろ質問しながら、「しかし、今度の事故で、日本人も原発への意識が変わるかもしれませんね」というが、元記者は「いや、人は変わらないよ。すぐ忘れてしまうから」。


事故が起こって数年後、記者は福島の原発発電所を訪ねる。事故当時から働いている若い現地の作業員がいる。彼は、「政府は終息宣言を出しましたが、何も終わっていませんよ。あのころと変わっていません。原発事故の時、テレビを見ていた人たちは、いま何を考えているんでしょうね」と、いう。


選挙で見るかぎり、「脱原発派」は負け続けている。そして、いまや「原発問題」は、選挙の争点にもならならなくなった。


原発というモンスターが手に負えなくなったとき、作業員を撤退させよう、という声があがった。作業員は民間会社のひとたちで、生命の安全を保証できない。


しかし、菅直人総理大臣(三田村邦彦)は、「撤退したら日本の国は成立しなくなる。撤退はありえない」と、叫ぶ。これが事実なら、日本はあのとき菅直人総理大臣であったことを感謝しなければならないのだが・・・。


エンディングの字幕をみていたら、監修(?)のところに、いま原発の裁判で闘っている弁護士、『日本と原発』の監督でもある河合弘之氏の名前が出ていた。


『太陽の蓋』予告篇↓
https://www.youtube.com/watch?v=ewMezmcazsM



帰り5階の回転寿司へ寄る。