12月14日、土曜日。
新宿武蔵野館へ、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』を見にいく。
イギリス、フランス、ベルギーの合作映画。
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ケン・ローチ監督の前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)は、すばらしい作品だった。
大工だったダニエル・ブレイクは、心臓に疾患がみつかり、医者から仕事をとめられる。生活の補助を申請に出かけるが、複雑なシステムになんども手続きをやり直させられ、うんざりする。
シングル・マザーのケイティは、小さな子供をふたり抱えて生活の保護を申請にきているが、さんざん待たされたあげく、ケンもほろろにはねられる。
そばにいたダニエル・ブレイクは、冷たい役所の態度にがまんできず大きな声を出すが、すぐ退出を命じられる。
ダニエル・ブレイクとケイティの家族は、ますます困窮に追い詰められていくが、ダニエルとケイティの家族のあいだにはやさしい感情がめばえていく(恋愛感情ではない)。
この映画、何も現実の問題は解決しないが、このやさしい感情のめばえが、物語としての救いではあった。
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しかし、『わたしは、ダニエル・ブレイク』のやさしささえ通用しない過酷な現実が、ある家族を通して描かれるのが『家族を想うとき』。
4人家族が生きるため、父のリッキーは、さまざまな仕事をやってきたがどうしても困窮を脱出できない。
あらたに配送の仕事を得るが、1日に10時間以上のクルマの配達で、くたくたに疲れる。周囲に迷惑をかけるので、休日もとることができない。
妻のアビーは、介護福祉士として働いているが、人手不足のため、時間外でも連絡を受けると仕事にでかけなければならない。以前は、クルマで訪問先をまわっていたが、夫が配送用のクルマが必要になったため、アビーは自分のクルマを売ってしまった。いまは、バスで訪問先をまわっている。
夫も妻もめいっぱい働いて、家族がゆっくり話をする時間もない。その影響は子供たちを蝕んでいく。仲のよかった家族に亀裂が走っていく。
ブラック企業という言葉があるけれども、リッキーが働く配送屋もそれだろう。病気やケガ、家族の問題で休もうとすると、罰金が課せられる。
働いても働いてもリッキーとアビーの家族は楽になるどころか困窮に追い詰められていく。
この映画には、「ダニエル・ブレイク」のやさしさが存在しない。
しかし、ケン・ローチ監督の目線は、困窮者、労働者にぴったり寄り添っている。過酷で理不尽な労働環境への、監督の強い憤りがヂカに伝わってくるのだ。
他国の話とはおもえない。目を被いたくなるようなラスト・シーンに、胸がつまった。
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東武東上線の大山駅で、妻と待ち合わせる。いっしょに食事して、妻は姉の家へいく。わたしは、立飲み「晩杯屋」でもう少し飲んで、アパートへ帰る。
あした早い時間に新幹線で広島へいくため。