自伝『水のように』を読んでから、わたしのなかで「浪花千栄子ブーム」がつづいている。
最近、浪花千栄子を中心にして、2本の映画を見た(どちらも amazonプライム)。
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溝口健二監督『祇園囃子』(1953年)。
Gion bayashi (1953) ORIGINAL TRAILER
「祇園囃子」。外国版の予告編。
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ひさしぶりに見たが、よかった。祇園の舞子さんの世界を、厳しいリアリズムで貫いている。細部までこだわる溝口健二監督なので、ひとつひとつの女性の所作(しょさ)や祇園の描写に厚みがある。
主演は、木暮実千代と若尾文子。当時35歳の木暮実千代の着物姿の美しさ。そして、10代の舞子さんを演じる若尾文子の初々しさ。このとき、若尾文子20歳。
後年、若尾文子は、聖女から悪女までいろいろな女性を演じるけれど、『祇園囃子』では、ただひたすらかわいい。
浪花千栄子は、祇園の世界を仕切るやさしくて怖い「おかあさん」。しきたりに従うかぎりこのうえなく頼りになるけれど、それにそむくと「おかあさん」の思惑ひとつで、すべてのお座敷から締め出される。
善人でも悪人でもない、祇園の権力者を浪花千栄子がごく自然に演じている。舌を巻くようなうまさを実感‥‥。
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西河克己監督『伊豆の踊り子』(1963年)。
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伊豆を旅する学生が、修善寺で見かけた旅芸人の一行と親しくなり、下田まで同行。旅芸人の一行とともに、伊豆の、美しい山々に囲まれたつづら折りの道を歩く。
学生は、孤児のひがみ根性があって、ひとを信じられなくなっていた。それで、ひとりで旅にきている。
旅芸人のなかに、薫(かおる)という14歳(原作の年齢)の踊り子がいた。
彼女が寄せるむじゃきな好意に、学生はこころを癒されていく。
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原作は、川端康成。青春文学の傑作。
「伊豆の踊り子」は、6回映画化されている。しかし、原作の抒情性を伝えることに成功しているのは2本だけ。
ひとつは、この吉永小百合主演のもので、もうひとつは山口百恵が踊り子を演じた1974年版の『伊豆踊り子』。どちらも監督は西河克己。
浪花千栄子は、旅芸人一座の「おかあさん」。
いく先々で受ける旅芸人への差別も、流し商売の厳しさも、すべて知り尽くしている。
学生には、そういう差別の意識がない。だから、こころを構えることなく下田までの旅をいっしょできた。
しかし、「おかあさん」は、14歳の踊り子が自分で気づかぬまま、学生に惹かれていくことを心配する。
旅が終われば、学生は学生の世界にもどり、踊り子は、終わりのない旅をつづける。その境界を超えることはできない。
「下田へいったら活動に連れてってくださいましね」
と踊り子は学生にいう。前からの約束だった。
「ええ、いきましょう」
その夜は、休む予定だった。しかし、「おかあさん」は、急にお座敷がかかった、という。
「活動」(映画)へいけなくなった踊り子は、暗い顔をするが、「おかあさん」は、学生を見ながら、
「すみませんねえ、急なことで」と、なんともないようにあやまる。
「おかあさん」の複雑なこころのうちを、浪花千栄子は笑顔だけで演じきってしまう。
こういうときが、浪花千栄子の、女優としての真骨頂ではないか、とおもいながら見た。