かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

新藤兼人監督『愛妻物語』(1951年)


むかし脚本を読みながらずっと見るチャンスがありませんでした。新藤兼人監督のデビュー作。半自伝的作品です。


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京都へやってきた沼崎敬太(宇野重吉)は、憧れの坂口監督(滝沢修)にシナリオを見てもらう。これが合格すれば、シナリオ・ライターとして一人前でやっていける。


しかし、ひそかに自信のあったシナリオは、「これはシナリオではありません、ストーリーです」の坂口監督の言葉で打ち砕かれる。沼崎は絶望する。


「だめなら、もっといいシナリオを書いたらいいじゃないですか。1年間勉強してみてください。生活はわたしがなんとかします」


妻・孝子(乙羽信子)の励ましに、沼崎はもう1度やり直そうとする。近代戯曲全集を1巻からすべて読み直し、劇とは、シナリオとは何か、を第1歩から勉強する……。京都での、1年が過ぎる。


沼崎は、再度書いたシナリオで、坂口監督の<合格>を得る。しかし、妻は肺病で死の床にあった……。


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まるで作ったような、しかし本当の話。新藤兼人の自伝にも、このことは詳しく書かれています。坂口監督とは、溝口健二監督。溝口健二新藤兼人のシナリオを見ていった言葉が、映画でもそのまま使われています。


この乙羽信子が演じた女性は、新藤兼人の最初の妻・久慈孝子。彼女は、えくぼこそありませんが、丸顔で「乙羽さんに似ていた」そうです。新藤兼人が、映画界のなかで生きていくために、最初に描かなければならなかったのは、亡妻・久慈孝子のことでした。


その久慈孝子を演じたのが、大映の若手スター乙羽信子。彼女は、シナリオを読んで出演を志願する。ところが、既婚者の役を若手のスター女優が演じることに、大映は猛反対。


しかし、乙羽信子の「どうしてもやらせてください。お願いします」の直訴で、実現する。


この映画、つくりとしては平凡な気がしますが、その後の、新藤兼人乙羽信子の歩む人生を想うとき、感慨深い作品でした。