11月17日、土曜日。
妻と合流して、亀有の「リリオホール」へ、神田松之丞の講談、独演会を見にいく。12時30分開場、13時開演。
講談を見るのははじめてだし、CDやYouTubeでもあまり聴いたことがない。ただ、神田松之丞の講談のさわりを何かで聴いたとき、その迫力に惹かれるものがあって、一度見にいこうとおもっていた。
- 作者: 神田松之丞
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/07/31
- メディア: 単行本
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演目は、「堀部安兵衛」。身上(しんしょう)を飲み潰すほどの大酒飲み・堀部安兵衛が、高田馬場で叔父(伯父?)の仇討ちを果たす人情アクション劇。
大酒飲みのダメ男が、大勢の敵を切っては捨て、切っては捨て、叔父の仇討ちを果たす。その豹変ぶりがかっこいい。
自分に身を置き換えてみると、お酒は飲むが、剣術はもちろん腕力もからっきしだめ(笑)。おれは、キメどころがないなあ、とおもう。
後半は、忠臣蔵の後日談。前半の仇討ちは、迫力のあるアクション劇だったが、切腹した四十七士の後日談は、しんみりと聴きいった。
広い会場が、若いひとりの講談師の話に神経を傾けて聴きいるというのは、やっぱり神田松之丞の話に力がある、ってことなのだろう、と感心する。
落語と講談のどこがちがうのか、を神田松之丞が説明してくれた。講談の登場人物は、フィクション化されていても実在のひとがモデルになっている。落語の登場人物は、「クマさん」「よたろう」、だいぶぶんが無名のひとたち。
講談はヒーローが活躍するけれど、落語は大岡越前のような例外をのぞけば、どこにもいそうな庶民たちがモデル。
忠臣蔵でいえば、主君の仇討ちに参加したひとたちの武勇伝が講談の素材で、仇討ちに参加せずどこかへ逃げてしまった武士たちが、落語の素材になる、っとそんなことを説明してくれた。
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遅いお昼を食べようと亀有駅の周辺を歩いていたら、お酒が飲めて、定食も食べられるお店があった。あんこう鍋を食べながら、ホッピーで喉の渇きを癒す。