かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

川本三郎『成瀬己喜男〜映画の面影』の「あとがき」から


成瀬己喜男には「ヤルセナキオ」というよく知られたあだ名がある。
作品から受ける「切なさ」「哀しみ」を、名前にひっかけたものだ。


成瀬己喜男の作品では、現実がそうであるように、最後まで容易に問題は解決しない。難題はその人物にのしかかったままで映画が終わってしまう。成瀬は、登場人物に酷薄すぎるのではないか、とおもえるほどに、苦しみや哀しみを背負わせたままだ。


映画を見たあと、成瀬作品の人物から滲み出てくる「哀しみ」の源泉はなんだろうと、よく考えた・・・。


成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)


成瀬作品の「哀しみ」について川本三郎氏は、『成瀬己喜男〜映画の面影』の「あとがき」で触れている。少し長いけれど、引用しておこう。

成瀬の映画では市井(しせい)の人々の慎ましい暮しが哀惜をこめて描かれてゆく。戦後、成瀬が映画を作っていた昭和二、三十年代の日本の社会にはまだ他者に対する思いやりが消えていなかった。それは、戦後の日本人が、戦争に生き残ったことの意味を感じていて、戦争で死んでいった者への敬虔な気持を持っていたからだと思う。


成瀬は真正面から戦争を描く映画は作らなかったが、「おかあさん」といい「浮雲」といい「乱れる」といい、どこかに戦争の影が落ちている。自分たちは戦争に生き残った。国は敗れた。自分の暮しの背後には、無数の死者がいる。その思いがあるから、成瀬映画に慎ましさがあるのではないか。


四十二歳で逝った作家、野呂邦暢は出色の評論『失われた兵士たち〜戦争文学試論』(芙蓉書房、昭和五十二年)のなかで書いている。「わが国の戦争文学は、いやおうなしに敗北を認めさせられることによって成立した。したがって、わが戦争文学には、作者が戦争で果たした役割の如何によらず、文章の行間にいわくいい難い哀しみがある。死を賭してまで護ろうとした一つの倫理的価値に、意味がなかったことを知った者の哀しみである。」


戦争の時代を生き残った日本人の一人である成瀬にもこの「哀しみ」があったと思う。だからこそ成瀬は、作品のなかに数多くの戦争未亡人を登場させた。映画をその映像においてのみ語る批評が多くなった現在、昭和十九年生まれの人間としては、この「哀しみ」について強く言っておきたい。


「哀しみ」があるからこそ成瀬映画の女優たちはあんなにも美しかった。


(「あとがき」より)