八丁湖。
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3月22日、日曜日。晴れ。
熊谷へ両親の墓参りいくことにする。途中運動不足を補うために、よしみ(埼玉県)の八丁湖へ寄る。20〜30代のころは時々遊びにきたけれど、それからずっときてない。
クルマを駐車場へ停めて歩く。
湖を1周すると1600メートルと案内板がある。妻は腰部脊柱管狭窄症という持続的に歩けない病気から自然治癒したが、まだ、それほど長い距離を歩いていない。不安はあったが本人が運動不足だから、というのでいっしょに歩くことにする。
あたたかくて気持ちのいい天気だった。同じように湖の周りを歩いているひとたちがいる。桜は、まだ2部咲きくらいか。
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墓参りをすませて、行田の水上公園へいく。ここの桜は4〜5分咲きくらいになっている。八丁湖より、早く咲いてきている。
妻は、八丁湖でだいぶ歩いたからベンチで待っているというので、わたしはひとりで公園を1周する。
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桜の下、奥のベンチにかけて、高橋清隆(反ジャーナリスト)著『山本太郎がほえる 野良犬の闘いが始まった』を読む。おもしろい!
- 作者:高橋清隆
- 発売日: 2020/01/20
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
山本太郎氏の「街頭記者会見」や「おしゃべり会」をYouTubeで見ていると毎回「フリーの高橋ですが」といって質問するひとがいる。毎回なので、日本中、山本太郎を追いかけているのだろうか、とおもっていたが、その高橋清隆氏が出版社の持ち込みをすべて断られて、自費出版で出したのが『山本太郎がほえる』(一般販売はなく、Amazonのみで販売)。
高橋清隆氏が「反ジャーナリスト」と肩書をつけているのは、かれが本質的にジャーナリズムやメディアというものを信じていないため。
山本太郎氏の「街頭記者会見」には、報道陣がくる。しかし、テレビも新聞もいっこうに報じない。そのことを「れいわ新選組」の支援者たちが抗議する。
報道陣が沈黙を貫く中、安富歩氏がマイクを取る。「この国は人間ではなく、立場でできている。立場上の話しかできない。立場が重いほど、その人の意思は関係なくなる」と指摘。
メディアも社会構造の一角であると説明し、「自由にやっているのは、あまりお金をもらっていないフリーの方、立場上のメディアしかなくなるのは、この方が悪いのではなく、私たちの国が狂っている」と本心を封じる社会構造を批判した。
お金のないフリーのジャーナリストのひとりであり、どこにも顔色を伺うことなく書きたいことを書いている高橋清隆氏は、安富歩氏の言葉に共感もし、勇気ももらっただろうと、おもいながら読む。
森友事件を取材していたため、NHKの怒りをかい、記者からおろされ、なお取材を続けるために同社を辞職、地方紙に身を置いて事件を追い続ける相澤冬樹氏も、希少なジャーナリストなのかもしれない。
高橋清隆氏は、書く。
(略)。皆、現在の地位から脱落する恐怖心から、雇用上の求めに忠実に働いているだけである。そのことが支配システムを支えている。マスコミ記者に限らず、官僚も政治家も、教師も学者も、同じである。近代化とは、あらゆる立場をピラミッド型に組織化する作業だったのではないか。(略)。
(略)
後援者たちからは、マスコミ記者に報道姿勢を改めるよう、苦言が続いた。しかし、私はマスコミが直る、すなわち国民のためになるという意味で「正しい報道」をすることは永遠にないと思っている。マスメディアは民衆をだますために発明されたのであり、今日も終日、本来の役割を発揮しているにすぎないというのが私の解釈である。
このような視点を持つ、反ジャーナリスト・高橋清隆氏の独自の目線で、山本太郎氏の活動・発言を中心に、政治やメディア全体について語られている。
読み終わったので、妻が待っているクルマへもどる。