tougyouさんの「時よ止まれ! 僕たちはすることが一杯ある!! 」を訪問して、成瀬巳喜男監督の「乱れ雲」の感想を拝見しました。
この映画「乱れ雲」は、あやまって夫を車で轢いてしまった加害者の青年(加山雄三)を、被害者の未亡人(司葉子)が愛することになる、というとんでもなく唐突なストーリーです。安っぽい仕立てのサスペンス・ドラマにはなっても、人と人との関係を重厚に描く成瀬映画にしては、話の展開が劇的すぎる感じがします。
しかし、成瀬巳喜男は、加害者の青年と被害者の未亡人の動向を、じっくり描写することによって、不自然を自然に変えてしまいます。映画を見ている観客は、被害者の未亡人が加害者の青年を愛する、なんてとんでもないストーリーの展開を次第に受け入れていくんです。おどろきました。こんな不自然な筋立てから、これほど重厚な恋愛映画が生まれるなんて。
一般的に、成瀬巳喜男監督に登場する女性は、強い意思をもって、与えられた運命を乗越えようと気持ちを昂ぶらせながらも、その直前であきらめてしまいます。いってみれば周囲を不幸に、もしくは混乱させても、自分の幸福を手にいれようとするほど強引にはなれないんですね。その狭間で迷い、揺れ動く女性の心を描き尽くすのが成瀬映画の真骨頂だともいえます。
加害者の青年が未亡人へ愛情を告白しながら、彼女にかたくなに拒否され、彼女をあきらめ、辺鄙な外国へいく決意をする。それも、生きて帰れるかわからない土地へ。彼女は、その時、自分の本能に従い、社会的な道義を超えて、一度だけ青年と愛情を交わすことを決意するわけですね。未亡人を演じる司葉子が悩ましいほど美しい。
しかし、成瀬映画は、甘いハッピーエンドを男女に許さない。彼女の決意がどのようにして崩れていくのか、愛情の成就をなぜ断念するのか、そこをていねいに描いていきます。
そのもっとも核心のシーンを、tougyouさんが指摘してくださいました。以下引用させていただきます。
結ばれることを決意して旅館へ向かう二人がタクシーに乗っている中での、運転手のバックミラーに映る視線(亡くなった夫の目に私は見えました)、そして重苦しい無言のままの二人の表情。その後に続く踏み切り。 越へてしまおうとする一線でもある踏み切りでは、貨物列車の長い長い通過時間がそれはしてはならないと語っています。 そしてその後に続く自動車事故の目撃。 もっとも忘れたい事故が二人の前にまた現れます。 旅館で二人きりになってやっと抱擁をかわすところに、また二人を追ってくる救急車のサイレンと担架。 刻々と変わる二人の心模様を繊細にたたみかけるように描写します。
tougyouさんが説明されたような状況を、成瀬監督は精密に映像で描くことによって(ほとんどセリフはありません)、この男女が一線を超えられない……心の経過を、映画の観客になっとくさせます。しかし、そのために、映画の登場人物も観客も、強烈な感情のストレスを自らの中に押さえ込まなければなりません。観客は、気が晴れないまま映画館を出ますね(笑)。映画館を出ても、そのしこりが消えない。このやるせなさが、成瀬巳喜男作品の醍醐味です(ほんとか?<笑>)。