かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

サム=テイラー・ウッド監督『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』(上映中)





ジョン・レノンの少年時代というと、ぼくのようなファンは、ジョンやビートルズの伝記で読んだ、有名なエピソードばかりが頭に浮かんでしまいます。


運命が采配したようなポール・マッカートニーとの出会い・・・ポールは、酒臭いジョンの前で「トゥエンティ・フライト・ロック」を完璧に歌って演奏し、ジョンを驚かせた、という。ジョンの知らないギター・コードも知っていた。


次はポールが、ジョージ・ハリスンを紹介する。ジョンが見るには、ジョージは、ロックンロールをやるにはまだ幼な過ぎたが、「ローンチー」という曲を器用に弾いてみせた、という。


これで、ビートルズの3人が揃う・・・。


ジョンのバンド、クオリーメンは、どのようにビートルズに成長していくのか。


こうしたひとつひとつの挿話が、どのように映像化されるのだろう、と、テーマ以上に、そちらに関心が先行してしまうのですが、たしかに、そのシーンは描かれているものの、全体には、浮わついたエピソードの羅列映画ではありませんでした。



厳格で閉塞的な養母と、自由奔放に生きる実母・・・という<二人の母>のあいだで、自分の居場所を探す10代のジョン・レノン


彼は、厳格な伯母ミミをうとましく思い、彼女の家を出て、少しのあいだ、実母ジュリアの家で楽しく暮らす。


ジュリアは、明るくジョンを迎えて、ロックンロールを一緒に楽しみ、バンジョーの弾き方を教えてくれる。しかし、それは長く続かない。


実母ジュリアは再婚して、新しい夫と子どもを持ち、そこにジョンの長く留まる場所はなかった。


ジョンは、自分がなぜ母と暮せないのだろう、と考える。


ジュリアは、「ミミ伯母さんがお前を溺愛し、欲しがったから」という。


しかし、ミミは別の真実をジョンに教える。


性的に奔放な母は、船乗りの夫(ジョンの父)が家をあけると、別な男を引き入れる。それも、一度だけではない。そんなところへ、お前を置いておけない。だから、わたしが引き取ったのだ、と。


少年のジョンは、心が引き裂かれるような真実を、受けとめなければならなかった。



母ジュリアが、クルマに轢かれて死んでしまう、という残酷な事実がジョンを襲う。


ジョンは、二度母を失ったという。


最初は、伯母にあずけられたとき。二度目は、再び交流がはじまって、事故で亡くなったとき。


映画は、このジョンの苦しみと悲しみを丁寧に描いていく。



癌で母を失ったばかりのポール・マッカートニーは、ジョンの悲しみを理解できた。二人はロックンロールを共有し、バンドに熱中することで、悲しみから少しずつ癒されていくのだが、それは、映画では発端が暗示されるだけで、奇跡的な物語は、この映画が終わったところからはじまる。


それにしても、ポール・マッカートニー役はなんでいつも実物よりも、かっこよくないのだろうか。もっとなっとくできるポール役を探すのは、それほどむずかしいことではないだろう、とおもうのだが。


本人の少年時代の写真と比較してみたら、あまりにも手抜きした役者の割り当てではないか、と、ちょっとポールのために憤ってしまった(笑)。