日本が真珠湾を奇襲してアメリカ合衆国と戦争をはじめたのが、日本時間1941年(昭和16年)12月8日。
ビートルズとして、ひとりのミュージシャンとして、その後世界の多くのひとに影響を与えるジョン・レノン(1940年10月8日生まれ)は、このとき1歳だった。
そして、1980年12月8日、40歳の若すぎる死。
12月8日になると、わたしは真珠湾攻撃とジョン・レノンの死をいっしょに思い出してしまう。
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ジョン・レノンが、マーク・チャップマンから射殺されたのは、アメリカ時間では12月8日だったが、日本時間では12月9日だった。12月9日のお昼前後(詳細な時間は忘れた)だったか?。
仕事関連のひとから「おい、ジョン・レノンが撃たれたぞ」という電話で知った。
「撃たれた? なんで?」
わたしはそのころ大学の地下にある本屋さんで働いていたので、すぐに生協の電気屋さんへ、テレビに映るニュースを見にいった。
棚に並んだたくさんのテレビ・モニターが、いっせいにジョンの死を報じていて、ビートルズの「リボルーション」のライブ映像などが流れていた。
その日のあとのことはぼんやりして記憶にないが、帰りの駅で、「ジョン・レノン射殺される」の「号外」をもらったのを憶えている。
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「撃たれた? なんで?」
そういう想いは、テレビのニュースを見ても、特別番組を見ても、はっきりしなかった。
はじめは、射殺したマーク・チャップマンが、ジョン・レノンの熱狂的なファンだったと報道されたが、チャップマンはダコタ・ハウスにくるまで、ジョン・レノンの待望の(約5年ぶり)アルバム『ダブル・ファンタジー』が出たのも知らなかった。
そんな熱狂的なファンってある?
わたしなんか、発売が決定してから毎日指折り数えて、ジョンの新作を待っていたぞ。5年の休息(当時として5年のブランクは長かった)を経て聴くジョンのアルバムにどんな変化が起こっているか、期待(70%)と不安(30%)で。
マーク・チャップマンは、ジョンが住むダコタ・ハウス(ニューヨーク)の前で、ジョンの出待ちをしているファンの女性から新作『ダブル・ファンタジー』の話を聞いて、買いにいく。そしてあとで、幸運にもジョンからアルバムにサインをもらう。
チャップマンは誰でもいいから有名人を殺して、自分も有名になりたかった、という説をあとから本で読んだ。たいていの有名人は護衛がついているが、ジョンは護衛なしで外出するので狙いやすかったというのだ・・・そんな動機で殺されたとしたらほんとうに悲しすぎる。
CIA(中央情報局)から危険人物として暗殺されたのだ、という説も読んだ。しかし、過激派と交流して反戦デモや反戦集会に参加していた70年代はじめならともかく、1980年のジョンは子育てを一段落して、ミュージシャンにもどってきた、政治的には無害なひとだった。
「撃たれた? なんで?」
という想いは、わたしのなかで、いまもスッキリしない。
<和訳>
Woman
ウーマン
うまく言えないよ
僕の混み入った感情や浅はかな考えなんて
何だかんだいってもやはり
僕は生涯 きみに借りがあるんだ
それでもウーマン
なんとか表現してみるよ
心の内側の感情ときみへの感謝の想いを
だってきみは僕に
本当の成功って何なのかを教えてくれたんだ
ウーマン
きみはわかってるよね
どんな男のなかにも少年の心があることを
どうか覚えておいて
僕の人生はきみの手のなかにあるんだ
「洋楽和訳 Neverending Music」
http://neverendingmusic.blog.jp/archives/23266279.html