9月22日、日曜日。晴れ。
新宿武蔵野館へ、オダギリジョー初監督作品『ある船頭の話』を見にいく。
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明治後期から大正を思わせる時代、美しい緑豊かな山あいに流れる、とある河。船頭のトイチは、川辺の質素な小屋に一人で住み、村と町を繋ぐための河の渡しを生業にしていた。様々な事情を持つ人たちがトイチの舟に乗ってくる。日々、黙々と舟を漕ぎ、慎ましく静かな生活を送っていた。
(略)
そんな折、トイチの舟に何かがぶつかる。流れて来たのは一人の少女だった。トイチは少しの間その子の様子を見てやることにするが、それと同じ頃、トイチは渡し舟の客から、奇妙な惨殺事件の噂を耳にする。少女はどこからやってきたのか? どんな過去を背負っているのか?
少女の存在はトイチの孤独を埋めてくれてはいるが、その一方でトイチの人生を大きく狂わせてゆくことになる……。
(公式HPより)
http://aru-sendou.jp/story.php
観念的な味わいの作品。
ストーリーを説明するのがやさしいようなむずかしいような、どっちともいえる(笑)。リアルな景観のなかにときどき幻想のようなシーンがまじる、その意味ははっきり説明されない。感覚で受けとめるしかない。
森のなかに大きな川が流れる村が舞台。
この映画の主演は、船頭役の柄本明とこの美しい自然の風景ではないかとおもう。撮影監督は、クリストファー・ドイルというオーストラリア・シドニー出身のひと。
まだ橋が完成してないので、村から外へ出るひとも村へやってくるひとも、川を渡るには船頭の舟に乗るしかない。
いろいろなひとが船頭の舟にのる。豪華俳優が出演といっても、ほとんどがこの舟にのって川を渡る乗客の役。
話の中心は、船頭・トイチ(柄本明)と少女(川島鈴遥)のふたりの謎めいたものがたり。
柄本明は映画に出ずっぱり。これだけ長い時間ずっと彼の顔を大きなスクリーンで見たのははじめてかもしれない。
オダギリジョーは、役者としても個性的で、主演にこだわらず、端役でもユニークな作品に登場している。
比較的最近みた映画では、彼が画家・藤田嗣治を演じた『FUJITA』(小栗康平監督、2015公開)がおもしろかった。
この個性的な俳優が映画を監督するのは、とても自然なことにように感じられる。
初の監督作品『ある船頭の話』は137分の長編。けれどあきずに見ることができた。